サラディンの宿

シリア砂漠の中にボツンとある町パルミラのバスターミナルに着くと、バスが二台おり乗客を待っていた。

「ホムスに行くバスはどれですか」私は建物の影で切符を売っているアラビア人に訊ねた。

「あのマイクロバスだよ」傍らに居た男が英語で言った。バスを待っているのは、皆アラブ人かと思っていて気がつかなかったが、西洋人のバックパッカーだ。五十リッターほどのザックに、テントを畳んで括り付けている。「乗客が十四人になると、ホムスに向かって出発する。もうしばらくだよ」彼は二十半ばだが、アラビアの一人旅の所為か目付きが少し厳しい。

「おや、君もパルミラで泊まったのかい。おれは日本人だが、君は?」

「イギリス人だ。君が日本人であることはすぐ分かったよ」

「おれはこれからホムスへ行き、十字軍の城に行く予定だ。どこから来たの?」

「ロンドンから先ずインドに入った。そのあと陸路でアラビア半島に入り、サウジアラビアを旅して、ヨルダン経由でシリアに来たんだ。昨夜はこのパルミラの遺跡の中で野宿したよ」

「そういえば、遺跡の中でテントを張っていたのは君かい?水道のホースが破れて放水している横に、テントがあったけど」

「そうそう、あそこはテントを張って野宿するには、最高だったよ。きれいな水がふんだんにあったし、夜は人気が無かったから、気楽に寝れた」昨日の昼、バスでパルミラに着いたときは、気温が45度を越し湿度は低く、天然のサウナだった。

「もうだいぶ旅をしていいるみたいだね、これからどこへ行くんだい?」

「これと言って当てはない気楽な旅だよ。ロンドンで勤めていた会社を退職して、家を売り払って金を作り、いつ終わるか考えていない気の向くままの旅だよ」

「羨ましい人生だね。日本にも来るかい」

「タイとか香港などの東アジアへも行く予定だがね。だけど、俺みたいに一日15ドルの予算だと、物価が高い日本の旅は高嶺の花だね。ちょっと寄るくらいがせいぜいで、そう長くは滞在できないと思うね」

「一日15ドルで過ごすとは、逞しいね。大したものだな。日本の旅行だと、十倍はかかるだろうね」

「インドなんかは、それでもお釣がきたよ。経費を押さえるためにできるだけ宿には泊まらない。野宿が出来ればどこでも寝るよ。中東の砂漠はその点では、野宿には最適だな。ベドウインの気持ちになって、満天の星を眺めながらテントの中で寝るのも良いものだよ」

シリア砂漠の中にある古代ローマ時代の遺跡を残すパルミラは、シルクロードの西端にある砂漠の中のオアシスの街だった。当時、パルミラで全盛を極めた女王ゼノビアは小アジアやエジプトの一部も支配していた。彼女はローマへの隷属を嫌い必死に抵抗したが、ローマ軍に捕らえられ、金の鎖で繋がれてローマに連れ去られた。その後、この街は衰退し、砂漠の中に埋もれてしまった。今では砂漠の中に、古代の見事な宮殿の回廊や競技場の跡が発掘復元されて、観光客相手の遺跡の町として栄えホテルも数件ある。日本の考古学の発掘隊も、長年ここで遺跡の発掘で活躍している。

「それにしても、あの遺跡の中にはローマ時代の墓もたくさんあるのに、たった一人で夜を過ごすのは気味が悪くなかったかね?」遺跡群の西側には“墓の谷”があり、塔状の形をした大きな墳墓がいくつも建っている。

「女王ゼノビアの亡霊が出てくれば面白いだろうと、期待していたんだがね。クレオパトラと並ぶ絶世の美女と、一夜をともできれば素晴らしいじゃないか」彼はにやりと笑って言った。

「もっともその時は、ゼノビアの祟りで君は白骨になって発見されるかもしれないね」私もブラック・ユーモアに調子を合わせて笑った。

マイクロバスは十四名の乗客を詰め込むと、舗装した砂漠の中のバス道をまっしぐら走った。アラブ人の乗客はみんな口髭を生やした農夫だろうか、黒いガウンを纏い白の布地に赤い斑点模様のカフイーアを頭から被り、髪の上から紐で止めている。口数も少なく車内に収まった彼らの目付きは穏やかに見える。イギリス人の乗客がいなければ、私たちは一緒に大声でシリアの民謡でも歌い手拍子を打って陽気に騒ぐだろう。バスの車窓の外では、見渡す限り広大な砂漠が広がっている。ベドウインのテントが蜃気楼のようなゆらゆらとした大気の中に浮かび、数十頭の羊と山羊、それに動物を率いるベドウインの姿が黒い点々なって微かに漂っているのが見える。

民家の疎らな砂漠の中の道路には、ところどころに停留所が点在し、灼熱の砂漠の中でアラブ人がバスを待っている。バスの運転手は停車すると、この客を無理やり詰め込んで、また突っ走る。ホムス市から数十キロの所までやってくると、最後に二人の客を乗せた。カーキ色の制服を着た役人だろう。もう坐る余地はない。

「おい、もう少し席を詰めてやってくれ」入口の席に坐っている私は、隣のアラブ人に促した。

男は黙って席を詰め、この隙間に一人の男を私と隣の間に挟むようにして坐らせた。私は窓側に押し付けられるようになる。足のバランスを保つために、一段下にある狭い車の踏み段に片足を置いた。もう一人の大柄の男はマイクロバスの低い天井に頭が当たらないように、腰をかがめて中背にしながら到着するのを耐える。この姿勢を保つのはきついにちがいない。それでも灼熱の太陽に曝されて、当てにならない次のバスの便を待つよりはましだろう。

向かいに坐っているイギリス人のバックパッカーは目を閉じて、無関心を装っている。イギリスの狸が寝ているさまは面白い。詰めれば、奥の席に一人くらいは座れる隙間ができるのだが。旅慣れた彼は、マイペースを崩さない。バスはそんな乗客にはおかまいなく砂漠の道を走る。

ホムスに近づくに従って、左右の砂漠の風景は植林と畑が加わってくる。松の林が見える。砂漠の強風に長年曝されてきたため、松は一様に腰を折るようにして幹がよじれている。よく手入れの行き届いたオリーブの林、ぶどう棚の畑、次第に木々の緑が目立ってくる。

マイクロバスがホムスの街へ入ると、所々で乗客を吐き出しながら街の中央にあるバスターミナルに着いた。ここでは大型バスとマイクロバスが三十台ほどひしめいている。完全冷房の新車のベンツや近距離のマイクロバス。ローカルバスは何十年も前の使い古しのポンコツの車体だが、フロントにキンキラの飾りを付けてフロントガラスの皹を補っている。

この街は細長いシリア国土のちょうど中心部にあたり、アレッポに次ぐ第三番目の都市だ。南の首都ダマスカスや北の古都アレッポへ行く長距離バス、国境を越えてトルコへぬけるバスもある。第四次中東戦争後は大きな戦争はなかった所為か、シリア国内は治安が良くなり、地中海の海岸の町タルトゥース経由でベイルートへも行けるようだ。

「ちょうど昼時だし、一緒に昼飯を食べないかい?」バスを降りると、イギリス紳士に昼食を誘った。バックパッカーが旅を急ぐこともなかろう。

「俺は先を急ぐから、このままハマまで行くよ」男は、あまり乗り気のなさそうに応えた。

「そう?クラック・デ・シュヴァリエへは行かないのか」私が訊ねた。

「帰りに寄ろうと思う。じゃ失礼」お金にゆとりのある旅行者と、昼食を付き合っていたのでは、予算オーバーになって計画が狂ってしまうからだろう。彼はバスターミナルの案内所へ急いだ。

クラック・デ・シュヴァリエは十字軍が残した城で、現存する城では当時の面影をそのまま残して、異彩を放っている。二十年前シリアにいたときに訪れたことがある。Lonely Planetのガイドブックによると、この城の近くには二軒のホテルがあるという。今夜のホテルの予約をしなければならない。バス停の入口にボックス状のカルナックバスの案内所がある。三十才位の色白でハンサムな男がいる。接客に慣れた彼は、英語を話せないが親切に私をバス停の横にあるカルナックバスの事務所へ連れて行く。この六角型をした建物は三階建てで、一階にバス予約のための事務所があり、二階と三階がホテルになっている。ガイドブックによると、ここはホムスの街にある唯一の三つ星の外人観光客用のホテルだ。一階の事務所は建物の構造に合わせた六角型のカウンターがある。カウンターの中では頭にスカーフを被った若い女性の職員が、家族ずれの三人の客の応対をしていた。

「英語が分かるのはアマルしかいないわ。二階のホテルの受付にいるわよ」一人の女性職員ががちらりと私を眺め、男に言った。男はその足で、二階へ案内してくれた。

ホテルのカウンターには三十才を少し過ぎて、小太りした愛想の良い女性がいた。客がめずらしい極東のバックパッカーだと知って、彼女は得意の英語で訊ねた。

「ヤバニー(日本人)、東京からですか?」

「そう、日本人だけど、名古屋って、知っていますか?」

東京、大阪くらいは知っていても大抵の外人は、名古屋は知らない。

「そう、ナゴヤ?それで仕事でいらしゃったの、それとも観光ですか。お仕事は何なのかしら、学校の先生、お医者さん、弁護士、画家?」

彼女は楽しそうに、次から次へ質問する。

以前は、このホムスのような大きな街でも、英語を話す人はほとんど見掛けなかった。まして女性が職場で英語を話し、接客に当たることなどなかった。

「アナ、ベイタラー(私は獣医だよ)」

「ベイタラー!ニャンニャン猫チャンのお医者さん?」ますます嬉しそうに、彼女が言った。

そういえば、この女は何かに似ていると思ったが、“ペルシャ猫”だ。丸っこい顔にある大きな目がきょろきょろと動き、こじんまりした鼻と口。それに好奇心が旺盛だ。

すっかり打ち解けた彼女は、私の探しているホテルの電話番号を見た。

「これはホムス市内の局番だわ」市内の管轄であることを確認すると、彼女が電話した。一軒目のホテルAmar Tourist Resortは、少し値段が高いがプール付きの豪華なホテルだという。このホテル場合は、お城まで一キロの道を歩いて行けば良い。電話は発信音だけ聞こえ、どうやら電話番号が間違っているようだ。

彼女は、二軒目のホテルLa Table Ronde(円卓)に電話する。このホテルは十字軍の城のすぐ横にあり、レストランもあるという。遠い記憶をたどってみるが、城の横にこんなホテルがあるとは想像できない。このホテルの電話も不通だった。

「電話番号が変わったのでしょう。どうしますか?」

「行って見て、ホテルが閉まっていたり、部屋が無かったりしたら困るな…」

タルトゥースまで行き海岸沿いの高級ホテルに泊まり、地中海の海岸を散歩して、魚料理でもありつけば最高だろう。だが、まだこの国のホテル事情については、私は確信が持てない。それにせっかくこの女性が親切に他のホテルまで探してくれるのに、このまま通りすぎるわけにはいかない。

「ここのホテルには空室がありますか。シャワーとトイレ付きのシングルで構わないから、できるだけ安い部屋が良いが」

「はいはい、部屋はありますよ。一泊30ドルです。ベット、バス・トイレ、テレビ付き(with)ですよ」彼女は、私が解決策を見つけて、ほっとしたように言った。

and with you.(それに、あなたもついているしね)」私が陽気な彼女に、一寸お愛想を付け加えて言った。

and with meですって?面白い人!」彼女は、けらけらと笑いこけた。彼女の横にあるカーテンの陰に、スカーフを被った若い美しい女性が坐っていた。この女性にアラビア語に訳して話すと、また一人で笑いこけた。スカーフのイスラム教徒の女性も、つられて慎ましやかに微笑んだ。

彼女が三階の部屋に案内してくれる。廊下は掃除が行き届いているが、ワックスをひてないせいか、つやがなく砂漠の砂でも舞い込んできているのか、ざらざらした感じがする。部屋は広くシングルベットが二つあり、立派なバストイレ付きだ。24インチの大きなテレビと、備え付けの鏡台まである。窓の外にはさっき来た通りが見下ろせる。

「オーケー、ここに決めた」私はキーを受け取った。

早速シャワーを浴びる。清く冷たい水が、ふんだんにでて気持ち良い。

二階の食堂に降りると、トルコ人のビジネスマンが二人、コーヒーを飲みながら、取り引き相手のシリア人を待っていた。旅の日本人を見ると、気さくに話掛けてきた。軽い昼食を注文し、私たちはとめどもない世間話をした。

ボーイが軽食のサンドイッチとビールを持ってくる。さっきのネコチャンがテーブルにやってきて、前の席に座り、また話しかけてきた。

「ねえ、どうしてシリアに来たの、どうしてアラビア語を知っているの?」

「以前、シリアに住んでいたからね、20年前のことだけど。今度は、旅行のついでに寄ったのですよ。シリアもずいぶん変ったね」

「ホムスは来たことがありますか」

「そういえば、仕事で一度きたことがあるような気がするな」私は朧な記憶を辿ってみた。

…大きな養鶏団地があり、トリの病気の診断に来たことがあったな…。団地で発生していた病気は、ニューカッスル病という伝染病だった。だらだらと長引いた病気の発生で、担当の獣医も診断が下せないようだった。予め届いた血清の検体を検査して、調査を終えると、彼に警告し予防上の注意を促した。彼は私の言い方が気に食わないと、私のカウンターパートだったムハマッド氏に苦情を言った。人の面前で恥を掻かせたというのが、彼の言い分で、裁判にもなり兼ねない剣幕だ。ムハマッドが宥めて、彼を落ち着かせた。本末転倒だが、道理がそのまま通らない厳しい社会だな、と思った…

夕方は彼女の教えてくれた道を辿って、カーリド・モスクを見物する。公園の中に建つ清潔な感じのするこのモスクは、大理石の石畳の横に銀色の9つのドームが光り輝き、白い尖塔のミナレットが聳えている。靴を脱いで、絨毯の敷かれた静かなモスクの中へはいる。遠方の田舎から訪ねてきた人や、近く住む敬虔なイスラム教徒が、静かに祈りを唱えている。外では待ち受けていた子供たちが、珍しい日本人を取り囲む。写真を撮ってやり、出来上がったら送ってあげるからねと約束する。教えてもらった住所と氏名は、とても郵便が届くような代物ではない。大理石の石段では団体でお参りに来たのか、スカーフをかぶった123才くらいの可愛い少女たちが座っており、一斉にこちらに顔を向ける。電線に一列に止まったスズメの群れが大きな目で、珍しいものを眺めている風景に似ている。

街のスークへ行く歩道は商店が軒を連ね、夕方の散策を楽しむ夫婦や若者、田舎から出てきた人々がひしめき、肩をぶつけ合うようにして歩いている。珍しい東洋人を見つけて、“ヤバニー?”と声をかける者もいる。賑やかなスークを抜けて、道を間違えないようにと、もとのホテルの方向へ戻る。商店に挟まれて、アラブ料理の食堂が所々ある。今朝処理し、羽根と内臓を抜いたブロイラーが一杯に詰められた籠が積み上げられている。店頭ではこのトリをグリルで丸焼きにして、ローストチキンが並べられ、夕方の客を待っている。こんな豊かな風景は、かっては見られなかった。

…この国では、砂漠の乾燥化が進み、砂漠で放牧する羊の飼育が難しくなっていた。羊肉が手に入らなくなるためこの主な食糧の蛋白原の羊肉に代わって、政府が養鶏を振興した。病気の発生に頭を悩ましていた政府が、日本の援助でダマスカスに鶏病予防センターを造った…。豊かな実りの店頭を眺め、私は技術援助で来ていた頃を思い浮かべた。

翌朝、朝一番のマイクロバスを捕まえようと、目の前のバスターミナルへ降りる。もうここでは何十台のバスが、全国へ向けて賑やかに行き来している。ターミナル入り口のすぐ左に、白いマイクロバスがいた。

「カラート・アル・ホスン行きだよ」運転手が客に呼びかけた。

十字軍の城のクラック・デ・シュヴァリエは、アラビア語でカラート・アル・ホスンと言う。だが、城の見物に行く人となると、外人の観光客か僅かにシリア人の観光客があるくらいだ。こんな早朝に客が集まるわけがない。客待ちに時間を費やすと、半日かかってしまうかも知れない。

そんな様子を心配して運転手が誘った。「貸し切りにすれば、すぐ出発するよ。300ポンドだが、250ボンドにまけておくよ」

50キロほどの行程で、相乗りだと25ポンドだ。それでも250ポンドは、日本円にして500円程度で安い。

「クワイエス、ヤンラ(よし決まった、行こう)」私は運転手の右の助手席に座ると、バスが発車する。

美しい並木の街路樹を通り抜ける。日本の公団のマンションに似た、広大な住宅街が右に見える。緑豊かな田園風景がを展開し、バスは良く整備された広い国道を、地中海沿岸のタルトゥースの方向に向って走る。昨日見た荒涼とした砂漠の風景とは、全く対照的だ。道路脇で、野菜や果物の入った袋や籠を抱えた人がバスに呼びかける。運転手は私に遠慮なく、途中で客を拾う。貸しきりとは言っても、最初の出発時点だけだ。乗せただけ、運転手の儲けになるのだろう。やがて、マイクロバスの後の席は乗客で満杯になる。

バスが国道を右へ曲がると、城までは10キロほどだ。農村の中の道をくねくねと曲がり、次第に坂道になる。前方に、懐かしいクラック・デ・シュヴァリエの城砦が見えてくる。丘の上に通じる道の両脇には、石造りの立派な建物もある。城の正面にマイクロバスが止まる。眼下に穀倉地帯のホムスの緑の平野が広がっているのが見える。

十字軍の護兵の詰所だった入り口では、入場券を売っている。階段を上り、いよいよ中世の十字軍の城へ入る。かって四千人の駐屯の兵士を収容したというこの城は、地中海沿岸に散らばる十字軍の残した城の中で最も堅牢で白眉の城と言われ、今もまだその原型を留めている。坂道の勾配を上るとドーム状の大きな厩舎にでる。かって十字軍が数百頭の軍馬を収容したところである。二十人ほどの小学生らしい団体が、横の通路から教師に案内されて賑やかにやってくる。シリア人にとっても見物の名所になっているのだろう。城内には、食糧貯蔵庫、倉庫、兵器庫、アーチ状のホール、礼拝堂などが回廊を通じて結ばれている。二階には城主の寝室がある。城を取り囲む城壁の上は、展望のきく三メートルほどの広い通路となっており、ここからは地中海の方向が見渡せる。アメリカ人の若い女性が、忙しげに挨拶を交わすと、先を歩いて行った。西欧人の観光客もちらほらと見える。イスラム教徒が陥落させた後で建てられたという、スルタンの塔に登る。ここからの見晴らしが最も良い。城に隣接した南側の丘には、金持ちの別荘だろうか、石造りの立派な建物がぽつぽつと建っているのが見える。

城の見物を終え、南の丘陵に隠れるようにして建物がある。ホテルLa Table Rondeと小さな標識が目に付いた。建物の正面に行くと、二階のガラス窓から西洋人が食事をしているような様子が見える。別の窓辺に立っている男が、手招きする。南の入り口に廻り、階段を上ると右に入り口がある。その横にバックパッカーが出かける前なのか、いくつかの大きなザックが無造作に置いてある。

入り口の奥は観光地のみやげ物売り場のように商品が陳列してあり、奥のレストランにはいくつかのテーブルが並べてある。この城の横に、こんな立派なんレストランがあるとは意外だ。招き入れた青年は、この宿とレストランの経営者のアクム・エシャクさんだ。二組の西欧人のバックパッカーが、ここに宿泊し少し遅い朝食をとっている。ドイツ人の若い男女一組と、別の組は男女四人のフランス人のようだ。

「お変わりは、自由にどうぞ」窓辺のテーブルに座ると、アクム・エシャクがポットのコーヒーを入れてくれる。「ここへ立ち寄る日本人のお客は珍しいですね。年に一人か二人くらいですよ。以前ここに一週間ほど泊まっていった若い女性がいますよ」彼は訪問記録の帳面を見せてくれた。神奈川県の女性で、毎日の出来事を日記のように、ここへ記録を残している。

バックパッカー用の部屋を案内してもらう。三つの寝室には、それぞれ相部屋用に三つのベットがある。廊下がないので、それぞれの部屋を通り抜けるようになってりいる。料金はバックパカッカーが安心して逗留できる値段だ。

「外の広場はテントを持ってきた人のために、野宿ができるように用意してありますよ。水もトイレも使用できますし、レストランでは食事もできます」入り口の階段の反対側には木立の下が広場になっている。ここだったら安心して、テントを張って休めそうだ。

「この上の丘は、かっては十字軍の兵士たちの墓になっていましたが、今でも墓が残っています」彼が指差す方向には、所々に石の十字架が立っているのが見える。「またこの丘は、かってアラビアの英雄サラディンが、十字軍の城を攻略するために何ヶ月も立てこもった所ですよ。もっとも、サラディンはこの堅牢な城の落城させることはできないまま、アラビアの統一を果たしましたがね。あのスルタンの塔は、その後将軍バイバルスが城を攻略し城の改築を行った時に造られたものです」

アラビアのロレンスがまだオックスフォード大学の学生だった頃、シリアとパレスチナの城砦を調べて歩き、この城を訪れた。彼はこの美しい城を絶賛しその建築学的な構造の特徴を記載し、ヨーロッパの築城の起源を探求し、オックスフォード大学の卒論Crusader Castleを完成した。ダマスカスのオマヤド・モスクの横にささやかな佇まいのサラディンの墓があるが、ここを訪ねて図らずもこの著書の復刻版を手に入れた。それによるとロレンスが、当時トルコの支配下にあったアラビア半島における軍隊の拠点のアカバを攻略し、アラビア半島をアラビア人の掌中に収めて、ダマスカス入城を果たした。その後、ロレンスは真っ先に参ったのがこのサラディンの墓だったという。

「ところで、今建設中のホテルが来月にも完成しますが、名前をどうしようかと迷っているのですよ」誠実そうな経営者が訊ねた。

「あなたのこのホテルLa Table Rondeは“円卓の騎士”に因んでつけられたものでしょうね。新しい宿は、ロレンスの宿、あるいはサラディンの宿…」

「ホテル・サラディンはどうでしょうか」

「そうですね、ロレンスに対するシリア人の印象は良くないから、やっぱりあなたが言うように、“サラディンの宿”がぴったりでしょうね。サラディンは十字軍の支配からイスラエルを開放し、今でもアラブ人が待望するような英雄であることに変わりはないですからね」

アクム・エシャクはこの新しいホテルを、長期滞在型で少しデラックスな観光客用に造り、タルトゥースへの観光を希望すれば、車も用意できるという。バックパッカー達も再びここを訪れるときは、少しお金を貯めて来ると、ゆったりした長期滞在を楽しめるようになる。そんなホテルができてくれたら、この歴史的に由緒のある、快適な丘陵地帯で美しい城を飽きることなく眺めながら長逗留が楽しめることだろう。

私も次に来るときには、この“サラディンの宿”に逗留し、タルトゥース、ラタキアの未だ訪れたことのない地中海沿岸の旧約聖書の史跡やローマ時代の遺跡の数々、それに十字軍の城を訪ねようと思う。

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この物語はフィクションであり、実在の人物や団体とは一切関係ありません。

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Updated February 28, 2002