郷愁のエデン

パリ大学都市シテ・ユニヴェルシテのレストランは夏の短期留学生で賑っていた。昼食時の十二時から一時は特に混雑し、入口は若い学生達が列を作って順番を待っている。いつものように入口で、この大学街居住を示すオレンジ色の身分証明書を見せてレストランに入り、食器をのせるプレートにパンを一つ取る。次に、今日のメニューの中から、マッシュ・ポテトとロースト・チキンを選び、この他にチーズとサラダの小皿を取る。赤ワインを自動注入器から1/4リットルの小ビンに注ぎ入れ、別料金をカウンターで払う。ここの昼食はボリュームがあるので、これだけで夕食は軽い飲み物と軽食で済ませられる。
今日は何処かの小学生の団体が、入口付近の幾つかのテーブルで静かに行儀良く食事をしている。他は若い学生たちで一杯だった。奥のテーブルに、大学街の職員らしい二人の中年の男がフランス語で話していた。
「ボンジュール」
軽く挨拶をして、隣の空いている席に坐った。
食事を始めて間もなく、背の高い二人の若い男がやってきた。
「ハロー、ここに坐ってよろしいですか」
ジーンズにポロシャツの青年が英語で尋ねた。
「もちろん。どうぞ」
私も英語で応えた。
二人は、向かい合って坐った。物腰の柔らかい、感じの良い青年達だ。このレストランでは外国人の間ではだいたいフランス語で話すから、きっと彼らはフランス語が出来ないアメリカ人だろう。
「どちらからですか?私達はアメリカ人の大学生です」
私の横に坐っている、ティーシャツにジーンズを履いた青年が尋ねた。
以前は先ず日本人ですか、と話し掛けられたものだが、最近は似たような韓国、中国などの東洋人がパリには多いせいか、間違えては失礼だと思って慎重にこういうふうに問い掛けてくる。
「名古屋です、日本のね。休暇できているんですよ」
「休暇ですか、いいですね。それで観光ですか、それとも他の目的でも?」
大学街のレストランで食事をしているとなると、観光以外の目的があると想像したのだろう。
「That's a good question. ソルボンヌの夏期講座にでています」
「…と言いますと、フランス語の先生ですか?」
「いいえ。休暇をパリでゆっくり過ごしたいけれど、観光だけでは退屈するから、この際フランス文化を勉強しようと思ってね。で、君たちは、フランス語の勉強ですか?」
ここでは夏休みを利用してフランス語の勉強にきている若者が多い。
「いいえ、パリには一ヶ月いますが、特にフランス語は興味はありません。それに、私たちは外国語が苦手でして…」
「君たちアメリカ人は、たいていの事を自分の母国語の英語で済ませられるから、フランス語の必要はないかもしれないね」
先端の科学は殆どアメリカが独占しているし、英語ができれば、ビジネスでは不自由しない。
「では、大学では何を専攻しているの?」
「ぼくは、コンピューター・エンジニアリング」
「ぼくは、経営学です」
専攻が経営とコンピューターであれば話題に事欠かない。
「アメリカの景気はずいぶん良いみたいだね」
「ええ、今の所はそうです。日本円は急落していますが、最近の日本の経済は振るわないみたいですね」
「そう、つい一ヶ月前に日本を出てから、もう一ドル当たり五円も下がった。バブルが弾けてから、日本経済はずっと落ち目でね」
最近のアメリカの好景気は八十年代に産業界が思い切ったリエンジニアリングで贅肉を取った効果がでてきた所為だろう。
「日本でもマイケル・ハマーの例の本"リエンジニアリング革命"、がベストセッラーになっているよ」
「あれはハマーが日本の優良企業を徹底して研究した結果編み出した手法だそうですね」
経営学士の卵が言った。
左隣のフランス人達が興味ありげにこの話に耳を傾けているが、英語の会話はあまり分かっていないようだ。
「日本の産業がこれまで繁栄したのは、アメリカのデミング博士の指導に従って、品質管理を徹底して行った結果だよ。80年代の好況はその最盛期だったわけだ」
「日本とアメリカはお互いに持ちつ持たれつですね。経済も、政治も」
「だけど、日本経済も成熟期に入ったことだし、経済成長だけを目指した生き方はそろそろ改めたほうがいい。そういう意味では、文化を大切にしてゆとりある生き方をしているフランスを見習うのも良いと思うよ」
「文化とか精神面のゆとりも大事だということですね」
二人のアメリカの青年が相槌を打った。
(…今日のワインは美味い!)

「で、君たちは一ヶ月の間、パリで何をしているの?」
「聖書を普及するために講習会を開いています」
「ということは、聖書普及のミッションかい?」
「そうそう、その通りです」
二人はわが意を得たりと、嬉しそうに肯いた。
「それは面白そうだね。実存主義の発祥地のフランスで、キリスト教のルネッサンスで巻き返しを試みるとはね。サルトルも墓の中でもぞもぞしだすぞ」
確かに、この国の失業率は高く、特に青年の失業問題は深刻だ。
「若者達は結婚に縛られないで、コアビタシオン(同棲)に浸って、お互いに助け合いながら、かつがつの生活はやっていける。それに社会保障制度が充実しているから、いますぐ生活ができないというほど深刻さはない。だから宗教的な本質論などは今更という、しらけムードが漂っているのではないかな」
「でもこの際、信仰に目覚めて、青年たちが希望を持つようにと、私たちは聖書の普及活動をしています」
彼らが言うピューリタン的な考え方は、よく理解できる。日本人も戦後の廃虚の中から立ち上がったのは、生きるためと、より良い生活を渇望したからだ。
「フランスの青年は、長い経済の低迷には慣れっこになっている。彼らはフランスが世界一住み良い所だと信じており、ここから抜け出して、チャレンジしようというハングリー精神には欠けるのではないかな」
「外国人でもフランス語を話し、この国に適応さえすれば、豊かな人も貧しい人も、それ相応に文化的な生活を楽しめますからね」
「地球の温暖化により世界中で災害が発生したり、冷戦が終了すると絶えない地域戦争が始まり、終末的な現象で溢れていると思いませんか」
「多少はね。でも、終末論はこれまで何度も繰り返されてきた、言うなれば宗教のお題目だよ」
そういって、私は話しを変えた。

「ところで先週、私はエデンの園に行ってみたが、ダマスカスはこの二十年の間に都市化が進んでこの地上の楽園もだんだん縮小してきたな」
「エデンの園といいいますと?」
「ほら、アダムとイヴが住んでいた所さ。彼らが禁断の実を食べたため、後裔のわれわれ人類は苦難の生活を強いられる罰を神から受けた」
「それは、創世記第二章に書いてある、あのエデンの園ですか?」
二人は、信じられないという顔付きで私の顔を見つめた。人類の生まれた遠い昔の故郷、地上の楽園と呼ばれたあのエデンの園が本当にあったのだろうか。
「そう、以前ダマスカスに住んでいてね。今回パリにくる前にシリアに二十年ぶりに寄ったのさ。前に住んでいたアパートがカシオン山のすぐ前にあり、エデンの園と言われる広大なグータの森が家のすぐ裏に広がっていた。
この山は、アダムの息子のカインが、兄のアベルを殺した所なんだ。少し行った所にあるザバダニには、カインがアベルを朴ったドルーズの遺跡もあり、ここは中世には十字軍も巡礼の途中で寄った所だと言われている」
「エデンの園は考古学的な調査によるとチグリス、ユーフラテス川のあるペルシャ湾岸の辺りだという説もありますが…」
コンピューター・エンジニアが言った。
「そう、考古学はコンピュータ・サイエンスが進んだおかげで、古代のシュメール文字の解読をしたり、神殿の構造をシミュレーションで再現したり出来るようになった」
「アラビア半島の最も古い文明を明らかにするためにですね」
「紀元前四、五千年前のシュメール文化があったことを証明して、エデンの園と結びつけようとしている」
「両者を結びつける決定的な結論はでていないち言うことで?」
「カインがアベルを誘って行った山で、人類最初の殺人が行われた所が、このカシオン山だ」
「それは聖書に書いてあります」
「グータの森は、二人が歩いて行ける範囲内にあり、カシオン山の麓にある。ペルシャ湾の近くのエリドウからカシオン山までは、当時は原始林だっただろうから、ここを通り抜けて数百キロも歩いて行けるかい?」
「それは無理ですね」
「ダマスコのグータの森には、アンチレバノン山脈に積もった雪が地下の水脈を通って絶えず水を供給する。いつも緑が一杯で、春にはスモモの花が咲き乱れ、それはきれいだ。リンゴ、クリ、スモモ、ブドウなどの果物が豊かに実りすばらしい所だよ。
大昔は民家などなかったから、辺りは一面に花が咲き乱れ、いたる所に四季の果実が実り、緑が生い茂っていたに違いない。動物たちも自由に豊かな生活をしていた。エデンの園はすばらしいところだったと思うね。
今でもエデンの園は、戦争に疲れたアラビア人やイスラエル人、それに私のようなビジネス戦士にとっては、こころの休まる郷愁の地とも言える」
アブラハム以前の旧約聖書の世界は、むしろ神話の世界だ。あまり議論しても意味がない。夢のある話として聞いておけば楽しいじゃないか、と鷹揚なアメリカの若者はにこにこして尋ねた。
「ダマスコというと新約聖書にも度々出てきますね」
「そうそう、ヘロデ王が王女サロメの願いをかなえて、予言者ヨハネの首を切って与えたという話があるね。
ヘロデ王が、ほれて夢中になっていたサロメに、踊りを所望した。何でも欲しいものは与えるという条件でね。サロメは予言者ヨハネを恋したが、彼は見向きもしなかった。サロメは適えられない恋の仕返しに牢獄に繋がれていたヨハネの生首を求めた。
オスカー・ワイルドの戯曲にもなって良く知られている。ダマスカスのオマヤド・モスクには、ヨハネの首を入れた石桶が収納してあるということだ」
「じゃ、実際にヨハネの首を入れた石桶が今もあるのですね」
「そう。そういえば、ダマスカスでサロメに会ったよ」
「それは少し話が飛躍しますね。現代のサロメですか?」
「目が大きくて、彫りの深い美人で、妖艶な美しさを湛えた娘だった。名前を聞いて、私は思わず、
"インティ・サロメ?(きみが、サロメ?)"と呟いた。
すると彼女は、
"アナ、サローメ!インティ?(私はサローメよ、あなたはどなた?)"
と私にたずねたね。
"アナ、ヨカナーン(私は、予言者のヨハネ)"
と私は答えた。日本語では"私はハンサムな男、よかなん(男)"と言う意味さ。
この駄洒落は彼女に受けたね。彼女は、私が泊まったタワー・ホテルの受付の女性でね、英語が上手で、とても親切に対応してくれたよ」
「でも面白いな、教会ではこんな話は聞けないからね」
善良なアメリカの青年は顔を見合わせて呟いた。
「で、そのあとは、どこか珍しいところへいらっしゃいましたか?」
「ダマスカスは古くからシルクロードの西端の街として栄えた。当時の面影を残すスーク(市場)を通り抜けると、西暦七一五年に建てられた、イスラム教の寺院では世界最古のオマヤド・モスクがある。この西側にある旧市街を通るバーブ・アル・シャルキーという"真っ直ぐな道"を通って西に下るとパウロの門がある。
もっとも、この真っ直ぐで分かりやすいはずの道を歩いて行ったのだけど、途中にあった肉屋の横を通ったとき、一メートル以上もあるラクダの長い首が吊るしてあった。彼らは駱駝の肉を食べるからね。びっくりして駱駝の顔を眺めたら、大きな眼がウィンクしたように見えて、道を曲がってしまってね、それで道に迷ってしまった。
イエスがゴルゴダの丘で処刑された後のことだ。キリスト教徒を迫害する立場にあったパウロが、ダマスカスの入口にさしかかった時、天からの強い光に打たれて失明した。つまり天罰に当たったわけだ」
「使徒行伝九章にある、あの話ですね」
「そう。この後パウロがキリストの教えを伝導して、強力な伝道者になったという有名な話だ。このパウロが光に打たれた場所には現在パウロの門という所があり、記念の教会が立っている。もっとも教会の中は改修中だったがね。
それに、ここは以前私が勤めていた農務省の研究所があったが、生憎この日は日曜日で鉄格子の門は閉まっていたよ。
キリストの弟子になったパウロがローマ兵の追跡を逃れるために隠れていたアナニアの教会、今でもここからすぐ近くにある。世界中から大勢の人が訪ねてくる、観光名所になっている。細い路地の両側が土産物屋とレストランが軒を連ねていたけど、何故かカラオケ屋もあった」
「聖書の旅とも言えるお話、大変面白く拝聴しました。ところで今晩、聖書の会合を開きますが来て頂けますか。もっとも若い人ばかりですが」
コンピューター専攻の青年が、パソコンで打ち出し案内の紙を取り出して言った。
「そうね、若さは年齢と関係ないからね、行ってみようか」
「そうそう、ウルマンの詩にあるとおり、"青年とは心の若さである"。じゃ、また面白いお話を期待しています」

ワインが心地よく利いていた。
レストランの外へでると、湿気を帯びた冷たい空気が頬の火照りを冷やして気持ち良かった。七月のパリは冷夏で小雨の多い日が続く。鬱蒼とした広大なシテの森を通り、五分ほど先にある宿舎のモナコ館まで歩いて帰った。夕方まで、ゆっくりシエスタ(昼寝)を楽しもうと。

(1998年7月、パリ・大学都市モナコ館にて)

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この物語はフィクションであり、実在の人物や団体とは一切関係ありません。

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Updated February 28, 2002