厳しい残暑の八月が過ぎ、九月中旬に入りようやく少し涼しくなってきた。ここ愛知県の地方都市にも久しぶりの激しい雨が降り、秋らしい気候になった。朝夕には虫の音がうるさいほど響き渡る。転勤してきてから住むようになったこの戸立ちの家には、二十坪ほどの庭があり、東京のマンション生活ではなかった秋の風情が感じられる。
そんなある日、図書館の書庫の通路を歩いていると、コオロギが一匹ちょろちょろと現れ、私の足元に止まった。周囲は金属性の書架がびっしりと並び、床はタイル敷きの密閉された建物である。およそ昆虫の餌となるような物はないとおもわれる。第一、水が無い。おそらく何かの拍子にここに紛れ込んでしまい、だれか通りかかった人に助けを求めているのだろう。
そっと手を伸ばし、包み込むように掌に入れると、柔らかい腹部が感じられ、抵抗する様子も無い。甲冑のような光沢のある黒褐色の羽は絹地のように柔らかい。短い秋を過ごすと、虫は生命を終える。せめてこの短い生命を満喫させてやりたい。そんなことを思い、戸外の木陰の草むらに連れて行き、放してやった。
動物学者の本川達雄さんが「象の時間ネズミ時間」と言う興味深い本を書いている。それによると、動物はサイズによって機敏さが違うとともに、寿命も違う。総じて時間の流れる速さも違ってくる、そうだ。小さなコオロギにとってはその一生がたとえ短い秋に限られるにしても、この時間は人間の一生である七十年と変わらないわけだ。
だが、秋の虫の音を聞くと、やはり儚い生命に哀れみを覚えてか、無性に寂しさを感じるのは私だけではないだろう。
鳴けや鳴けよもぎがそまのきりぎりす過ぎ行く秋はげにぞ悲しき(曽根好忠、「後拾遺集」秋)
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