現在高校生の娘がまだ幼稚園の年少組みの頃、私は家族を九州に残して東京へ仕事に出かけ、月に一回だけ三日ほど帰宅していた。そんな折りに、運良く立川市で公団のマンションの一階が当り、とりあえず単身で住むことになった。ベランダの中央には階段があり、その下に二坪ほどの庭地があった。硬く荒れくれた土は小石が交じり、庭園にはするには先ず土造りから始めなければ利用できそうもなかった。
留守宅の家内は苦しい家計を補うため、懇意にしている友人の御主人が経営する会社で、パートで事務の仕事を始めた。幼い娘は幼稚園から帰ったあと、小学一年生の兄の帰りを待ち、幼い二人はおなかを空かせながら母親が帰るのを待った。
ある日、帰りの遅い母親のを待ちかねた二人の子供は、遠く離れた会社まで母親を迎えに行こうと手をつないで出かけた。錦江湾に浮ぶ桜島が夕日の返り陽を次第に暗くしていった。暗くなりかけた甲突川の橋の上で、二人はばったりと自転車に乗った母親と出会った。三人は、父親と一緒に住める日のことを話しながら家路に就いた。
近くのスーパーに買い物に行った時、いろいろな花の絵柄のついた花の種を売っているのが目にとまった。その中にピンク色の可憐なポピーの花の種があった。私は幼い娘を思い出した。この種を買うと、家の庭の荒れた庭を耕しながら早く家族が一緒に住めるようにと願いを込めて花の種を播いた。
新学期を前にしてようやく家族が一緒になり、娘は新しい幼稚園の年長組みに通うようになった。やがて秋になり、娘の誕生日が近くなると、庭一面にピンク色の薄い花びらをつけてポピーの花が咲きそろった。
部屋には観葉植物が常緑の葉を伸ばし、ベランダでは鉢植えの植物が色とりどりの季節の花を飾り、庭で採れた折々の野菜が慎ましく食卓を彩るようになった。
家内はガーデニングに勤しみ、家族の平和な生活を噛み締めているようだった。
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