カンボジアの首都プノンペンが未だアジアのパリと言われるほど平和な頃のことである。
僕は外人専門家用のアパートに、コロンボプランの専門家達と一緒に住んでいた。農務省獣医局で少し長目の午前だけの勤務を終えると、二時頃にアパートに戻った。僕は専門家のアシスタントでここに居候していた。
インジェイという三十代半ばで広東人の通いのメイドがいた。彼女の亭主は華僑で、仕事に成功すると、若い女を作って家を出ていったと言う。日本語には不自由しなかったが、話す言葉は典型的な男の言葉だった。
昼食はいつも麺類と決まっていたが、食後には必ず珍しい果物のデザートがでた。
「日本人バナナ好きナ。カンボジア人、お金ない人ババナ食べるよ。」とインジェが言っていた。当時の日本では未だバナナは珍しく、高級な輸入果物だった。
バナナ以外にもパパイヤ、マンゴ、オレンジ、レイチ、竜眼、マングスチンと今では日本でも知られている果物が出た。果物の王様ドリアンの季節になると、この旬の味を楽しむのが習わしだ。
「ドリアン食べてみるか。臭いよ」と言って、ある日、インジェイが、表面に大きな茨のようなとげとげのあるスイカ大の奇妙な薄褐色の物体を見せてくれた。濃厚な香りが鼻を突く。果肉はピーナツバターに似た味で、とろけるような新鮮な味だった。偏平な種を覆うように付いた果肉を二個も食べるとげんなりした。
食後は夕方迄、昼寝をした。
夜ともなると、平和なプノンペンの“夜の美しい果実”を求めて散策した。メコン河に浮かぶ船上のダンスホールでは、シハヌーク殿下が作詞作曲したという甘い哀愁を帯びたシャンソンに合わせて、美しいベトナム系の女性達と遅くまで踊った。
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