青春の門出

 

日本の青年にも希望と活力を与えようと、政府がアメリカの平和部隊にならって青年技術者派遣計画を企画した。先ず試験的に何人かの青年を派遣することになり、農林省が大学向けに公募を募った。

当時大学を卒業して両親の住む名古屋に就職したぼくは、狭い日本から海外へ脱出する機会を待っていた。

正月過ぎに、母校の教授からこの推薦のはがきを受け取った。

早速、農林省の国際協力課を尋ねた。

戦争中仏領インドシナに居たことのある担当の課長が言った。

「日本とは違って、現地の野外活動の生活は相当厳しいから、生きて帰れるかどうか分からないが、いいかい」

マラリア、デング熱、チフス等の伝性病が常在し衛生状態は悪く、野外では猛獣やコプラ、グリーンスネイクなどの毒蛇もいる。そんな現地の農村を訪ねて家畜伝染病の予防活動の仕事だが生命の保証はない、と言う。

「それは行ってみなければ分りません」、ぼくは怯まず応えた。日本脱出のこの機会を逃してはならない、とぼくは真剣だった。

「なるほど、面白い青年だ。それじゃ、取りあえず英会話の試験を受けてみなさい」

案内された大臣秘書課の通訳担当官は、ニューヨークに長く住んでいた日系人で、早速英語で話しかけてきた。通訳官は、このもの怖じしないボランティア志願者の英語の応答が、気に入ったようだった。

「うん、いいぞ。君は満点だ」

そう言うと彼は、おもむろに大きな弁当箱を開けた。ご飯の真ん中に赤い梅干しが一個だけの日の丸弁当だった。

「昼時になったので失礼するよ」、とこの初老の通訳官はぼくには無頓着に飯を食べ始めた。

こうして、ぼくのカンボジア行きは決定した。庁舎の横にある日比谷公園を通り、ベンチで休憩した。一月の寒い公園は人影も疎らで、鳩が数羽、餌を求めて歩きまわっていた。

…新しい世界が広がっていくな、とぼくは大きく息を吸い胸を膨らませた。海外へ脱出する最初の門出であった。

いっぽう両親は、せっかく自分達の近くに帰って就職した息子が、戦火のベトナムの隣国へ出かけると言うので不安を隠せなかった。…止めなさい、と言っても聞きいれる息子ではないし、所詮人生は本人のもの、長い人生は何が良くなるか分らないから、と健康を祈りながら旅でを祝った。

翌年の一九六五年、青年海外協力隊が発足した。この夢にあふれたプロジェクトに全国の青年たちが競って応募するようになった。今では、毎年約千人の青年が海外に新たに旅立ち、常時二千人以上の隊員が六十カ国の発展途上国に派遣されている。

海外雄飛を志す青年たちの夢を適えるこのプロジェクトは、海外へ羽ばたく青年たちの青春の門出となっているようだ。

98/4/1

 

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Updated February 28, 2002