ベンチャー・ミレニアム

 

失われた90年代と言われる長い日本経済の停滞のあとで、西暦2000年がやってきた。

従来の大企業中心では日本経済の未来がない。中小企業が元気になり、ベンチャー企業が数多く生まれて新たな産業を起こさねばならない。政府も今度は本気でその振興策に着手したようだ。最近ではベンチャー企業支援のベンチャー・キャピタルが続々と名乗りを挙げている。

20年前のことだが当時住んでいたK県で私も脱サラし、コンサルタント会社を起こした。丁度この頃、コンピュター産業を振興するためにテクノポリス振興策が生まれた。推進事業の一環として資金も貸すと言うので、出始めの国産パソコンNEC98を導入するために面倒な書類を整えて保障協会に100万円の借入れを申請した。間もなく保証人を付けるように要求してきた。友人に保証人になってもらい書類を再提出した。すると今度は、保証人の抵当物件を入れろと言われた。友人の資産を抵当に入れるわけにはいかないので、私は申請を取り下げた。振興事業などといっても所詮掛け声だけの役所仕事には、リスクを負担する覚悟など伺われない。会社を離れて創業することは、もはや企業人ではない路傍の石ころか馬の骨の扱いだということを実感した。

どうしても研究開発に必要なパソコンは必要で、基本ソフトと共に120万円をリースで組み、入手した。今日では、パソコンは30万円もだせば数十倍の機能がついており、隔世の感がある。

当時一方で、仲間と一緒に財団法人のソフトウェア振興協会を設立し、私も理事に就いた。今度は幸いにも、県に提出した委託研究に助成金が付き150万円を貰って、一息ついた。念願のシステムソフトの開発と委託研究報告を仕上げたが、会社の経営はサラリーマンの生活もように安易ではない。やがて毎日の生活費もままにならなくなってきた。

そんな折、急成長を遂げているアメリカのベンチャー企業が日本での事業展開を望んでいるのを知り、自営の会社を廃業し、運良く転職した。

西暦2000年の春、私は60歳を迎える。定年退職後は、自由時間を生かして趣味三昧に費やしながら過ごそうかと思っていた。そんなある日、N市の商工会議所から「創業塾」開催の連絡が舞い込んだ。ベンチャー企業の振興策で、この講習会を終了すると、担保や保証人なしで開業資金を半額まで低利で貸してくれるという。
起業は経営環境に適応した分野を狙わねばならない。そんな中でやはり元気な高齢者や外国人の活用、新しいインターネット・ビジネス、バイオテクノロジーなどは私の興味ある分野でもある。久々に経営関係の書物って読んでいるうちに、むらむらとまた起業を模索し始めた。

ケンタッキー・フライドチキンで大成功したカーネル・サンダースも定年後の起業だった。インタネットを活用するSOHOがいい。私のミレニアムはベンチャー起業で迎えることになるかもしれない。

Tomingo, 2000.3.1

 

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Updated February 28, 2002