華の還暦を迎えた春、心機一転してラジオのロシア語講座を始めた。毎朝のラジオ体操を終えると、八時四十分から二十分間、精神を集中してラジオに聞き入る。わけのわからないロシア語だが、美しいリズミカルな言葉が流れてくる。ロシア人講師の流麗な言語を真似るように、私も繰り返す。ちんぷんかんぷんだが、いつかこの言語を自分のものにするぞと覚悟して、学習に励む。何事も最初が肝心であるから、こうして日がな一日を過ごす事もある。
そんな四月の中旬、近くにある大学が五月から生涯学習センターでロシア語講座を始めることを広報で知った。このセンターでは市民のために夕方にも講座を設けており、新設のキャンパスはチョコレート色の新しい鉄筋三階建ての母屋と二つの二階建ての建物がコの字状に並び、こざっぱりとまとまっている。情報関係の教室には、数十台の新しいパソコンがずらりと並んでいるのが見える。
ロシア語入門講座は、毎週木曜日の夕方の一時間半である。五月から夏休みまでの二ヵ月半、十回の授業だ。ラジオのロシア語入門講座が毎週四日、四月から九月までの六ヶ月かけて行われることと比べると、この入門講座は相当キツイだろう。しかし、短期間にロシア語の文法の概要を知り、多少でもロシア語会話に慣れることができればしめたものだと思った。
担当の先生は、旧ソ連領で中央アジアから日本に来ている近くの大学院の留学生である。日本人にそっくりで、彼をみていると日本人の先祖が中央アジアだと言う説も、なるほどとうなずける。熱心な先生は、始業三十分に教室にやってきて、黒板にあらかじめ当日学ぶロシア語文法の一覧表を書いて準備している。短期間のことだからと、こうして手際よく講義をこなす。聴講生の生徒は、途中からは一人二人と欠けて、やがて若くはない三人の男性だけが残った。我々三人は、若い先生の熱意に応えようと、欠席しないで一生懸命がんばる。時々ユーモアを交えた楽しい授業は、十日間のコースをあっと言うまに無事終了した。
言語を学習する楽しみは、新たな言語圏への関心が増し、自分の世界も広がって行くことだろう。ロシア文化と言えば、四十年前の貧しかった学生時代、精神的な潤いを与えてくれたのが、当時盛んだったロシア民謡と歌声運動だった。どこでも若者が集まると、小さな歌集の冊子を取り出して、一緒にロシア民謡を歌った。"カチューシャ"、"小さなグミの木"、"黒いひとみ"・・・。おおらかで、軽快なリズムのロシア民謡を、飽きることなく大きな声を張り上げて歌ったものだった。歌声を通して一体感が生まれ、空腹であることも忘れ、青春のエネルギーを醸し出してくれるとともに、そこはかとなく将来への希望が生まれるような気がした。
二十世紀末、地上の二大勢力であったソ連は崩壊し、ロシアは多くの問題を抱えるようになった。歴史の終わりを告げる、共産主義の終焉であると言われた。一方、日本は自由主義陣営に与し米国の核の傘の基で温々と経済的に豊かになった。東京オリンピックや大阪万博と華の祭典を契機に、日本は一気に経済発展を成し遂げた。その後は豊富なODA資金や民間投資を通じて、アジアでは指導的な雁行型の経済発展を導き、東アジアの国々と共に繁栄を享受するようになった。
日本と隣接するロシアとそのCIS各国は、北方領土や核拡散の危険などの問題を残しているが、今後は豊富な地下資源を有効に活用して計り知れない可能性のあるニュー・フロンティアとなるところでもある。英語やドイツ語、フランス語、スペイン語などの欧州言語に文化的にも日頃から馴染みが深いが、、最近では中国語が全盛のブーム時勢であるが、ロシア語はを学ぶと、更に広大なフロンティアへの道が開ける。
ロシア語の勉強の傍らで、この広大な語圏の歴史、政治、経済、文明をざっと眺めた。ロシア語圏はユーラシア大陸の四十パーセントを占める。いつかこの広大な大地を旅してみたい。ナホトカの寂れた居酒屋で現地の人とウオツカを酌み交わし、一緒にロシア民謡を歌う。シベリア鉄道でモスクワへ向かい、長い旅のつれづれにチェホフの不朽の短編小説を原書で読む。ボリショイ劇場では憧れのチャイコフスキーのバレー組曲"白鳥の湖"を鑑賞する。さらに中央アジアへ下り、シルクロードのオアシス都市、"東方の真珠"と言われるのサマルカンドを訪ねる・・・。
新しい言語を学ぶ事は、人生を限りなく豊かにしてくれる。こんな楽しみは時間にゆとりのある華麗な第二の人生の特権であろう。
やがてまた春が巡ってきて、ラジオ講座も修了する。ロシア語の奥深い言語の入り口を垣間見ただけだが、私はそんな夢を膨らませながら、新学期もロシア語会話の勉強に励むことにしよう。
2001/3/12 多明功
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