金曜日の夕方に通うドイツ語教室に妙齢のお嬢さんが、仕事の後に駆けつけてくる."珠路"という詩的な名前が良く似合う彼女は清楚で、端整な面持ちが美しく、その上茶目っ気のあふれる話題で何時もクラスを賑わす。
去年の夏が終わる頃、父親が過労で倒れ、看護で二カ月クラスを休んだ。彼女のいないクラスには虚しい空気が漂い、私は学習が重く感じられた。そんな中で、彼女を慰めるために何かプレゼントをしたい、と私は思った。
おりしもドイツ文化を扱ったテキストが終わりに近づいて作詩が課題になり、リルケ、ハイネ、ヘッセと馴染みのある詩人の作品を鑑賞した。授業を終えて帰宅してからも詩の余韻が頭に漂い、床に就くとその夜はドイツ語の夢の世界が展開した。翌朝目が覚めると、詩の原案が浮かんだ。
アラビア海に発祥した真珠、パールロードの珠路を漂って、はるばると伊勢の志摩に到り、繁る。そして麗しい真珠の珠路さんが私の隣で微笑む今宵、と鬱勃とした想いを語尾の韻も合わせて一気呵成書き上げた。
次のクラスに、この四行二節の詩を持って早めに出かけた。
「素晴らしい詩だわ」
四人の子供の母親で生徒にも優しいドイツ人のソニア先生は、この詩を眺めて、ため息をつき、一緒に詩の推敲に掛かってくれた。文法的な誤りを二、三訂正してから、この詩に合った流麗な用語をあれこれと選びを手伝ってくれた。
暫くすると、次々に主婦とビジネスマンの生徒達が教室に入ってきた。ドイツ滞在経験のある生徒達は、それぞれの一週間の出来事を話題にして、ドイツ語で会話が始まった。
「グーテン・アーベント」
元気な声で珠路さんが現われて私の隣の席に坐ると、教室には微笑みの花が咲き乱れ、ほのかな香気がただよってきた。彼女は、赤く訂正の入った詩を覗き込んだ。
「ワー、すごいドイツ語の詩だわ」と呟いた。そして、この詩に目を通した彼女は頬を紅潮させて感激の眼差しで私を見つめた。
ソニア先生は総勢五人のこの小クラスの生徒を前にして、良く通るアルトの声で気持ちをこめて詩を朗読した。
十二月二十日、珠路さんの誕生日。京都御所の満開の桜の下で撮った彼女の写真をプリントして添え "Die Perlenstrasse珠路) "と題した詩を、彼女にプレゼントした。
それから毎週このクラスでは、私の傍らに美しい真珠が婉然と輝くようになった。(98/3/12)
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