1.美味しいご飯
「今日のご飯はおいしいネ」、と私は炊き立てのご飯を口にして呟いた。
「新米ですからね。山陰の妹が送ってくれたので、早速炊いたのよ」、と家内が言った。
大学生で娘のボーイフレンドが秋祭りにやってきたので、家内が旬の太刀魚の煮付けで歓待した。娘はとろろ昆布のお吸い物を作った。日本食にはやはりとれたての日本米が一番美味い。
ふっと数年前の米不足のことを思い出す。
冷害により全国的な米の収穫が著しく減り、市場から日本米があれよあれよといううちになくたった。このときには古米とか輸入米を残り少ない備蓄の日本米に混ぜて食べた。外国で現地の米を食べて過ごしたこともあったわたしでさえ、しっとりした味覚の日本米がこのうえなく美味しく思い出され、外米はひどく不味いものに思われた。
週末の交通の穏やかな週末には、わたしは自転車駆って、高校時代まで過ごした故郷の農村地帯を走る。十月に入り、黄金の稲穂が重そうに垂れ、豊かな濃尾平野を埋めつくしている。そんな田んぼのあちこちに、外来雑草の背丈の高い黄色い穂をつけたセイタカアワダチソウに占拠された休耕田を見かける。日本が経済成長を遂げた繁栄の裏では、農業を放棄した無残な爪跡を残している。
皮肉なことに先の米不足は、この間に食べなれたパンや麺類の代替食品への需要が増えて、米の消費は一段と減少したと言う。
田園風景を眺めると、戦後に育った貧しい少年時代を思い出す。戦争が激しくなり名古屋が爆撃にされるようになった。父母は幼い五人の子供を連れて、親戚を頼って三河にある田舎町に落ち着いた。ここだったら安全で食糧も何とか手に入れられると思ったからだ。家の近くには田畑が広がっていた。米の収穫時期に小学校の先生に引率されて、イナゴを捕まえに行ったことを思い出す。稲を刈り取った田んぼには、面白いほどたくさんのイナゴが飛び廻っていた。次々に捕まえては布の袋に入れると、小さな昆虫は力いっぱい抵抗し、独特の匂いのする胃液を吐いて袋を褐色に染めた。学校では、集めたイナゴを煎って、貴重な蛋白源として給食に加えられた。恐る恐るつまんで見ると、からりと乾燥してしょうゆ味が利いており、意外にうまかったことを覚えている。
2.アジアの穀倉地帯
大学を卒業して間もない六十年代に、私はカンボジアに行った。世界から飢饉を無くそうと言う飢餓撲滅運動の“ハンガー・キャンペーン”に参加したのだ。世界食糧気構(FAO)の主導で始まった牛のペストの撲滅する野外活動だった。水牛や牛は、農耕や農作物の運搬に欠かせない農家の貴重な財産だった。
カンボジアは豊かな自然に恵まれ、稲は三毛作ができる農業国で、当時は世界でも有数な米の輸出国であった。五月から雨季が始まると雨水が大地を潤し、トンレサップ川が氾濫して肥沃な土壌を含んだ川の水が農地に自然の肥料を提供する。あちこちにナツメヤシの木が茂り、パパイヤ、バナナ、マンゴなどの熱帯の果実は豊富に実る。見渡す限りの田んぼは冠水し、子供たちが水牛と一緒になって水遊びを楽しんでいた。ランドローバーに乗って通りかかるわたしたちに、歓声を挙げてにこやかに手を振っていた。
当時、アジアは貧しく人口は急速に増加していた。国民を養うために食糧の確保と増産は緊急の課題であった。米を主食とするアジアでは、米の増収は焦眉の急であった。このため、フィリピンにある国際稲作研究所(IRRI)が稲の品種改良に取り組んでいた。その成果が実り、ミラクル・ライスと呼ばれる多収穫品種の稲IR8の品種改良に成功し、アジアにも明るいニュースがあった。
カンボジアの牛のペストは無くなったが、長引く隣国ベトナム戦争の余波をうけて、内乱により平和な国は誇り高いクメールの王を失った。続く戦乱と狂喜の支配者ポルポト政権が悪夢の民族の大虐殺を行い、国土は屍の山となった。素朴なクメールの微笑みは人々の顔に見られなくなった。
3.食糧問題
七十二年にでた「限りある地球」と言うローマ・クラブの報告が話題になった。地球の資源には限りがあることが推計上明らかになり、将来人口爆発による食糧問題が起こるだろうと警告が発せられた。世界中の国が資源問題を真剣に考えるようになった。七十三年にはオイルショックが発生し、この心配は現実のものになった。
アジアではIRRIの開発した稲の改良品種が導入されると共に、各国の風土に合った抵抗性の強い品種改良が進んだ。米の収穫力は飛躍的に増加し、食糧増産は大成功を収めたため、「緑の革命」と呼ばれ称えられた。喧伝された食糧問題については、その後あまり論議されなくなった。
七十六年にベトナム戦争はアメリカの惨敗に終わり終結した。南北を統一したベトナムは、戦争の傷跡からたくましく立ち直った。八六年に始まったドイモイの政治改革が次第に軌道に乗り、農業は戦前のレベルまで回復し、最近では米の輸出国までになった。
中国の改革開放による市場主義経済は九十年代になり成功を遂げ、中国は今年も年率七パーセント代の驚異的な経済成長を続けている。しかし、この中国も食糧輸入国に転じてから久しい。その量は経済成長と共に増加している。
「誰が中国を養うか」と題したショッキングな報告がある。食糧・人口問題研究で有名なレスター・ブラウンの九十五年の著作である。西暦二千三十年には、中国の人口は現在の十三億から十六億に増加し、このときの穀物の消費用は大量が不足する。その時には唯一の穀物輸出大国である米国でさえ、いくらがんばっても供給量は追いつかない。
世界的が食糧不足に陥り、再びローマ・クラブの警告が見直される。国際市場は穀物供給量が不足し価格が高騰する。輸出国は限られた穀物をまず自国用に確保しなければならない。市場価格が高騰するのを嫌い、輸出を制限するようになる。貧しい国々は食糧を手に入れることができなくなる。
安い穀物をふんだんに国際市場から買っていた金満国家日本は、もはや外国の供給に頼れなり、自分の国の食糧を自給しなければならなくなる。食糧の自給率を回復するために、必死の奮闘をしなければならない。
今あちこちに見られる休耕田を耕して、また稲を植え食糧の確保に励まねばならないだろう。わたしは自転車を駆りながら、そんなことを思い巡らす。
2002/11/5 Tomingo
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