歌を忘れたカナリア

陽の光が窓から差し込んでくる。カーテンを開けると、チュニスの町並み越しにボン岬の端から太陽が雲間に赤く輝いている。小高い丘の上にある三階のアパートの両開きの窓を開ける。居間の裏の窓を開けベランダに出ると、野生のオリーブの茂った急斜面では、小鳥たちが目覚めて賑やかに囀っている。まだ少し薄暗いので鳥たちも活動していない。

三つの寝室の窓を開け、朝の涼しい空気を入れる。最後に、書斎の扉を開ける。部屋の反対側にある小さなアトリエには、カナリアのピーコがまだ止まり木で静かにしている。薄暗い部屋は小鳥にとってはまだ夜が明けないのだ。

やがて朝日が棚引く雲間からくっきりと真っ赤に輝き出すと、チュニスの街は活動を開始する。小鳥たちが、賑やかに飛び交い、このレジデンスのパティオの上空を舞い始める。ポーチの前にある階段の踊り場には、鉢植えの赤い花が五つある。この脇に、鳥かごを吊るすスタンドを移動させる。さて、ピーコの出番だ。

鳥かごの中で朝を迎えたピーコはまだ眠そうだが、部屋に入ってきた私を見ると戸惑い気味に動き始める。静かに鳥かごを持ち上げて、スタンドに吊るす。朝日が水平線上に鳥篭のピーコを容赦なく照らし、ピーコは次第に目を丸くして目を覚ます。

出勤までの僅かのふれあいの時間を利用して、まだ涼しい間に、厳しくない陽の光に当ててやるのだ。冷蔵庫からレタスの葉を二枚取り出して、鳥篭の隙間から入れ、洗濯バサミで落ちないように籠の金網に固定する。ピーコは待てましたとばかりに、新鮮なレタスの葉をついばみ始める。私はその脇で植木鉢に、ぺット・ボトル一杯の水をやる。小鳥は首をかしげながら、その様子を眺める。

五月初旬にこのレジデンスに入居して一ヵ月ほどした頃、ピーコが私のところへやってきた。帰国されるKさんが一緒に連れて帰れないため、私が引き取ることになった。週末を小鳥の世話をするのが楽しみだったというKさんは、以前の勤務地から連れてきた鳥が到着後間もなく死んだことからか、遠い日本までの過酷な旅を強いるよりは、今度はむしろ安心できる人に託したほうが、小鳥のために良いと判断されたに違いない。気候の急変に、小鳥が耐えらない心配もあったのだろう。チュニス生まれのピーコは、生まれつき暑さに強い品種だが、日本では雪もふる過酷な冬もしんぱいだ。

私は、ずっと昔のことだが、動物の病気の専門家でもあったことある。そんなことから、日本人の少ない社会では、「できることを、できる人が分担する」のが良いに違いない。Kさんは知人の紹介もあって、子供のように可愛がっていたピーコを私に託されることになった。

私の子供時代はいつも動物たちと一緒だった。犬、猫はもとより、うさぎ、ニワトリ、ヤギ、カメ、金魚、ハトといろんな動物が、いつも一緒だった。貧しいが、動物たちと一緒の楽しい少年時代だった。成人するとともに、大学や仕事で移転することが重なり、動物を飼うことは難しくなった。

それでも、カンボジアではカニクイザルを飼ったことがある。夕方には肩に乗せて、散歩に出かけた。動物は人の孤独を慰めてくれる。三ヶ月のコンポントムの任期が終わる頃、サルと別れを告げた。ジャングルの中で放してやった。サルは別れを知ると、走るランドローバーの屋根に飛び乗り、しがみ付いて離れようとしなかった。情に厚いカンボジア人の運転手は、そっと目をぬぐっていた。

ジャングルの中で見つけた三羽の孔雀のヒヨコを貰いうけ、育てたこともある。夕方は、メコン河の辺りまで、シャツを膨らませて懐に入れて散歩に出かけた。乾期で河床の表われた砂丘で放つと、ヒヨコたちは、砂の下から現れる子虫を、一斉についばんで走り回った。メコンに夕陽が降りる頃には、歩みをともにしていた彼らは心得たように蹲って私に掴まり、また懐に容れて家に帰った。“うなぎの長屋”と言われるアパートでは、厚板の台のベットだった。私が横になると、放し飼いにしていた孔雀は私の傍らに飛んできて、一緒に蹲って寝た。

人間より寿命の短い動物とは、いつか必ず別れがやってくる。亡き母もネコが好きだったが、老齢とともに可愛がっていた動物が死ぬのを目のあたりにするのが辛いと、晩年近くには動物を飼うこともなく、一人住まいを通していた。ほんとうは、動物よりも自分が先に亡くなることを予見して、動物の処遇を心配していたのだろうと私は思う。

カナリアのピーコが着てから、私の一人住まいには一抹の潤いが加わった。出勤までの時間と、帰宅後から寝るまで、一緒にいる時間は少ない。夕方のひと時は、パソコンに入れてきたCDの音楽を流す。アルフレッド・ハウゼのワルツが流れると、ピーコは二つの止まり木の間を曲に合わせて、踊るように飛ぶ。
Kさんと一緒のときは、一日何回かは鈴を転がすような歌声を浪々と響かせて、飼い主を楽しませていたという。

我が家にやってきたピーコは、環境の変化には耐えたようだが、可愛がってくれたKさんに聞かせた歌声は、私にはまだ聞かせてくれない。

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Updated March 10, 2003